先日、宮崎県小林市にて行われた「こばやしマルシェ」の記事を公開しました。当日、マルシェが終わり、各ブースの後片付けも終盤に入る頃、シェフとして、地域おこし協力隊として、小林市で活動中の甲斐崇悟さんにお話をうかがいました。
こばやしマルシェとは2017年2月12日(日)から始まった、“新たな賑わいの場やコミュニティの場を生み出すまちづくり型マルシェ”。毎月第2日曜に開催されており、編集部が足を運んだのは、3月12日(日)に開催された第2回です。
甲斐さんは16歳から料理人の道を歩み続け、これまでずっと料理の世界で生きてきた方です。
お生まれは京都ですが3歳で引越しをして愛知県に住み始めたため、今でも故郷は愛知という気持ちは消えないそう。そんな甲斐さんが、なぜ宮崎県小林市の地域おこし協力隊に?
甲斐さんに、小林の食文化について思うこと、小林に来たきっかけ、そして、これから小林で何をしていきたいのか、聞いてみました。
16歳からずっと料理の道で生きてきた
── マルシェの実行委員の青野さんと山本さんにお話をうかがってきました。甲斐さんも地域おこし協力隊なんですよね?
甲斐 はい。僕もおふたりと同じ課なんです。
── 現在はどんなことをやっているのでしょうか。
甲斐 今は、いろんな役所の方から「こういう場があるので、こういう料理をしてくれませんか?」とシェフとしての依頼が来ます。
たとえばこの前あったマラソン大会の振る舞いの料理のお手伝いとか、野尻地区がハーブでまちおこしをしているので、ハーブを使ったランチの開発とか、加工品の開発とかもあるし、今日みたいなイベント出店もあるし、とか。
── もともと長年シェフをやられていたとお聞きしました。
甲斐 16歳で調理師学校に通って、夜はイタリアンやフレンチのお店で働いていました。中学のときに夢がいくつかあった中で、一番早くお金を稼げる職業は何か考えたら調理師だったんです。調理師は年齢に関係なくお店に入ったらお給料がもらえますよね。
── なるほど。すぐに現場に出られる職業ですよね。
甲斐 そうですね。フランス、イタリアなどヨーロッパの料理のお店で働くことが多かったのですが、数値管理やマネジメントをしようと思って、居酒屋のチェーンをこれから広げていく会社に入りました。
僕が入ったときは1店舗だったけど、辞めるときは14、15店舗になるようなお店の広報をやって。そのときはメニューも自由につくれて、新聞チラシもつくったりして、とても勉強になりました。
── 地域おこし協力隊になる直前は何をされていたのでしょう?
甲斐 名古屋駅のイタリアンレストランで働いていました。
小林市だと決めたのはあるひととの出会いがきっかけのひとつ
── 小林に来ることになったのは、どういう経緯ですか?
甲斐 最初は「宮崎ひなた暮らしUIJターンセンター」という、移住先を紹介してくれるところに僕が電話をしたんです。都会の生活に疲れてインターネットで検索したら宮崎が移住先としてたくさんの情報が出てきて。
調理師免許を持っているので、シェフとしての経験を活かせる土地に行きたいなと思って聞いてみると、小林市と、もうひとつ、同じく宮崎県の西米良村(にしめらそん)という人口2,000人ほどの村を紹介されました。
── 最初に電話したときは地域おこし協力隊になろうと思っていたんでしょうか。
甲斐 正直、全然思っていませんでした。そのときにそういう制度を知ったくらいです。で、選択肢がふたつあって。
西米良村は、ジビエやイノシシの肉の加工場のスタッフ募集だったんです。小林は、今日のような感じで『自分のやりたいことをやってください』というスタンスでした。そういうことなら、今自分がやりたいことをできるのは小林だなと思って小林に来ました。
今日も一緒に働いた市役所の職員の石原さんといろいろお話させてもらって、おもしろいなと感じたんです。
町を案内してくれたり、半分冗談かもしれませんが、『小林にはあなたが必要です』と言ってくれました。そこまで言ってくれるならやろうって思いましたね。
── 石原さんの存在が大きかったんですね。小林の食文化にはどのような印象を持っていますか?
甲斐 地元のひとは小林のことを田舎と言いますが、小林はコンビニやスーパーもあるし、ちょっと車を走らせたら自然も豊か。何より、フランス料理やイタリア料理に合う食材が本当に多いんです。
その食材をつくっている方たちは気づいていないんですけど、洋食をつくる際に『これが欲しい』と思うものをつくっているんですよ。
つくっているひとたちは知らないので、料理として見せてあげて『本当はこういう料理になるんですよ』と教えていきたいです。見せてあげると、結構感動されます。
小林市に洋食文化を根付かせたい
── 任期が終わったらご自身のお店を出すのでしょうか?
甲斐 今の勢いだと、任期前にお店を出しそうな気はします(笑)。ありがたいことに、けっこういろんなところからお店出してよと言われ続けていました。僕は2016年の10月に小林に来たので、まだ半年なんですけど、いろんな方と出会えて、いろんな方にお店を出してと言われて。
小林市自体にはイタリアンやフレンチの文化が少ないので、もう少し洋食の文化をつくっていきたい。
将来的にはお店を開こうと思うので、そのときは子どもたちがフランス料理のテーブルマナーを学べる場所でもありたい。そういう食の文化に触れるようなことができればと思っています。
── 僕らが様々な地域で取材をさせてもらって思うのは「盛り上がっている土地では地元の食材を使ったお店があるのはもちろん、イタリアンやフレンチのちょっとおしゃれなお店があるんだよね」ってことでした。
甲斐 小林市以外の場所から来てくれた方々がご飯を食べに行く目的地になるような場所って、現状は決して多くはないです。ちゃんと小林産の野菜やお肉といった食材を使ったレストランが欲しいと、地元の方から言われるくらい。
食がないと、観光もないし発展もないし、ひとも集まらないのはたしかです。
だから僕は、小林に来てからずっと忙しいんですよ。協力隊は普通、「最初の1、2ヶ月はひとも知らなくて、何をしていけばいいか見えないから、なかなか動けないひとも少なくないんだよ」って言われたこともあります(笑)。
でも僕は、やっぱり料理をつくるのが好きだからいいんです。料理って究極の自己満足だと思う。料理を出して食べてもらうまでは美味しいか不味いかわからないんです。
出すときまでは自分が美味しいと信じるしかない。ゴールもない。だからおもしろいんです。料理が好きなので、料理でまちおこしをしていきたいんです。
(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)
お話をうかがったひと
甲斐 崇悟(かい しょうご)
1981年生まれ。京都府出身、愛知県育ち。名古屋調理師専門学校卒業。調理師専門学校卒業後から、シェフの道に。
非公開: 地元を愛する心意気に惚れ込んで【宮崎県小林市】特集、はじめます。
これまでの【宮崎県小林市】の記事はこちら
- 非公開: 地元を愛する心意気に惚れ込んで【宮崎県小林市】特集、はじめます。
- 【宮崎県小林市】歳をとっても“生きている心地”を感じられる場所をつくりたい|社会福祉法人「ときわ会」副理事長・坂口和也
- 【宮崎県小林市】実演販売の強みを活かして「買ってでも食べたいお菓子」をつくる。洋菓子工房プチ・パリ前原宏美
- 【宮崎県小林市】「わたしが一番のファン」。夫婦の信頼関係からつくられる玉光園のキノコ
- 【宮崎県小林市】「寄り添うとは、“いつでもそばにいる”と思ってもらえること」福祉タクシー きずな・四位純徳
- 【宮崎県小林市】野菜が好き。ただそれだけで夢中になれる。野菜のお姉さん・大角恭代
- 【宮崎県小林市】本場・北海道じゃなくてもできる。自分にしかできないチーズづくり|ダイワファーム代表・大窪和利
- 【宮崎県小林市】「作品を置いた場所が自分の空間になる」陶芸家・川路庸山のタブーなき不思議な世界
- 【宮崎県小林市】川﨑クラフト株式会社の手づくり「木製ままごとキッチン」は、老若男女が喜ぶ贈り物
- 【宮崎県小林市】目指すは“地球にやさしい男”。ホリケンファーム・堀研二郎
- 【宮崎県小林市】愛されるモノづくりの本質とは?銀座の名店シェフに選ばれる野菜農家の哲学
- 【宮崎県小林市】「風の丘ガーデン」を営む澁田園芸が目指す、家族でつくる花のある暮らし
- 【宮崎県小林市】「美味しさの秘密、全部教えるよ。同じようにはつくれんから」すき酒造杜氏・内嶋光雄
- 【宮崎県小林市】俺たちは「西諸県軍(ニシモロカタグン)」を結成した。故郷を好きになりたいから、ノンスポンサーで。
- 【宮崎県小林市】両親と兄の死を経て、それでも「この道でよかった」と言えるように。野菜ビュッフェツナギィーナ・橋本夫妻【夫婦対談】
- 【宮崎県小林市】理想の暮らしのためのスタートラインに立ち、いま思うこと|元・地域おこし協力隊 瀬尾絵美
- 【宮崎県小林市】ものをつくるのは孤独な作業。それが自分に向いていた|革製品ブランド「Lepanjao(レパンジャオ)」今村孝矢
- 【宮崎県小林市】「幸せになる方を選びましょう。自分の人生だもの」ヨガインストラクター 小川奈央
- 【宮崎県小林市】知るだけじゃダメ。ここへ来て、見て、感じてみて。農家民泊がいま必要なワケ
- 【宮崎県小林市】美大時代にバスに住んでいた?「廃バスでの暮らしが僕の原点」ばすぷすん工房・浜崎誠太郎
- 【宮崎県小林市】やりたい仕事よりも「望まれる仕事」を選んだ─「小原梨園」3代目に聞く、その理由
- 【宮崎県小林市】「クッチーナ・マンマ・デル・ペッシェ」80年続く魚屋発のイタリア家庭料理を召し上がれ
- 【宮崎県小林市】地域おこし協力隊の語る「マルシェの本質」とは?
- 【宮崎県小林市】シェフ歴20年。地元・名古屋を愛するぼくが小林の地域おこし協力隊になったわけ|甲斐崇悟
- 【宮崎県小林市】「あれを選んだらよかった」と考えるのは、無し。それが生き方の基本
- 【宮崎県小林市】絶対に妥協しないものづくりを。国内シェア50%のサーフボードブランクス「kiriflex」ができるまで
- 【宮崎県小林市】「今年もおんなじ味だね」が褒め言葉。大出水製茶・3代目のお茶づくり
- 【宮崎県小林市】に「TENAMU交流スペース」が誕生!地域商社・BRIDGE the gapが交流スペース運営に注力する理由とは?
- 【宮崎県小林市】一流の仕事とは?籐(とう)の家具づくり名人「現代の名工」に聞く
- 【宮崎県小林市】個人と法人、それぞれにできる農業がある。菊農家・高津佐雄三さんが目指す「あかるい農村」とは?
- 【宮崎県小林市】編集部みんなが紹介します!アクセス方法など初めて訪れる際に知りたい基礎情報まとめ
- 地域で「何をするのか」より、「どう暮らしていきたいか」を考える【地域特集イベントレポ】
- 【宮崎県小林市】「なんにもない地域なんてない」。身近な文化財から見えてくるのは現代までつながるストーリー
- 【宮崎県小林市】ここは、本当の日本人に出会える場所|小林まちづくり株式会社 ロレーヌ・ロジェ
- 【宮崎県小林市】生産・加工・販売を一農家で実現する徳永農園の、「何度失敗しても、新しいことにチャレンジできる」理由
- 咲いている日も咲かない日も訪れたい、生駒高原【宮崎県小林市】
- 【宮崎県小林市】「このレストランに旅をしに来てもらえるように」。Kokoya de kobayashi オーナーシェフ・地井潤
- 【宮崎県小林市】で幸せなノマド暮らし体験!もとくら編集部オススメの3スポットを紹介します
- 【宮崎県小林市】「生甘酒と糀のおいしさを届けて、お米の魅力を底上げしたい」rice shop 糀や 杉元祐子
- 「元気になって何をしたいか」を大切に、心と体をトータルケアしたい【宮崎県小林市】
- 【イベントレポ】灯台もと暮らし大忘年会〜小林を選んでくれたひとがたくさんいるって気づけた〜(2/3)
- 【ファインダーと私】恋の続きは、旅で。あたらしい自分に出会いに 〜宮崎県小林市〜
- 【ファインダーと私】陽だまりのように地元を愛すひとたちが暮らす街〜宮崎県小林市〜
- 【告知】12/11(日)「灯台もと暮らし大忘年会〜高知県嶺北地域と宮崎県小林市のみなさんを迎えて〜」を開催します!
- 【宮崎県小林市】カフェを開く夢を追いかけ行き着いたのは、「そのひとがそのひとらしく居られる空間をつくること」|musumiオーナー・上岡唯子
- 【宮崎県小林市】焼肉店「牛心」オーナー・坂下晃平さんの夢は100店舗経営。夢を動かすのは、いつだって自分だ
- 【宮崎県小林市】朝から晩まで北霧島の自然を堪能できるコンテナハウス「キレイビレッジ」
- 【宮崎県小林市】地域の人に育てられて、ここまで来た。23歳で始めた写真館で、50年撮り続けた笑顔。川原写真スタジオ・川原信幸
これまでの【宮崎県小林市】の記事はこちら
- バズを生むより地元出身者を振り向かせたい!宮崎県小林市発の「てなんど小林プロジェクト」
- 好きじゃないと来てなんて言えない。宮崎県小林市 移住相談窓口 上野祥枝
- 【地域おこし協力隊】子育てのために移住。自然と共に暮らしたい|宮崎県小林市・瀬尾絵美
- 【地域おこし協力隊】子どもが喜んでいる姿を見るのが一番の幸せです|宮崎県小林市・伊藤斉
- 【地域おこし協力隊】小さな生業を複数持ちながら暮らしたい|宮崎県小林市・細川絵美
- 【地域おこし協力隊】ミツバチと触れ合う体験を作りたい。定住に向けて養蜂と農業に取り組む|宮崎県小林市・田地祐造
- 【地域おこし協力隊】地域の若者と一緒に仕事をしよう|宮崎県小林市・勝本哲也
- 【宮崎県小林市】実演販売の強みを活かして「買ってでも食べたいお菓子」をつくる。洋菓子工房プチ・パリ前原宏美
現在鋭意執筆中…